>10月も最終日。
日に日に、寒いなぁ~って思う日が増えて来ますが、時折、あれ?暑い・・・。
って思う日中もあり。
今週の3連休は、紅葉を見に行くのに、絶好なお天気のようですね^^♪
>そんな穏やかな・・本日。Blogの更新です♪
私は、歴史が好きで、お客様と歴史トークで盛り上がる事も多々なのですが。
大和言葉も大好きで、「御意」「候」なんて言葉に美を感じるタイプの人間です(笑)
そんな私が、まだまだ未知と言うか、触れていなかったタイトルの「会津藩」。
先日のお休みの日。やっと・・・・まとまった時間が出来たので、
ずっと、録画をしていた、今年の大河ドラマ「八重の桜」を、見る事に。
もう、終わり近いのに、今!?なんて思う方もいるかと・・・・・・。私は、ようやく1回~6回を
見る事が出来ました(先は長いなぁ・・・・・)
舞台は、会津。大まかに行って、福島県西部地域にあたります。
「白虎隊」とか「戊辰戦争」とか。その言葉は聞いた事はあるんだけど・・・・ってレベルでした。
が。
まだ、やっと「桜田門外の変」「松陰先生の処刑」な時代の所ですがね。
なんだか、会津・・・・切ない・・・・・( p_q)
坂本竜馬側から見た、松平春嶽は、とっても物分りのいい方!だったのに。
会津側から見ると・・・・意地悪な人。
なんだか、とっても可哀相と言うか、悲しい「藩」な気がして。この先、見れるかな・・・・。
先には、「白虎隊」「戊辰戦争」が待っている。
知らなかったんです。そんな「会津」の事を。
それから、インターネットなんかで、色々と検索をしていると、いろんな方々の意見や所見があって。
「会津の悲劇」「会津戦争は何故負けたのか」とか。
そんなマイナス的なタイトルが多くて・・・・・切ない・・・( p_q)
けど、そんな幾つかのサイトの中に、「会津藩の武士は、最後まで武士魂であったが故・・」
と言う、文章を見つけました。
将軍家に忠誠を誓い。武士の戦いは、物陰から相手を狙う鉄砲ではなく。
正面正々堂々と、弓・刀・薙刀で戦うべしっ。押忍っ!付け加えるなら、一騎打ちで。だろうか・・・。
愚直なまでに、素直で真っ直ぐ。不正を嫌い、疑う事。裏の裏を見据える事が苦手だった藩。
その為、鉄砲や大砲などの武器に対する知識や情報収取が遅れた・・と。
早くから、その事に気が付いて、叫んでいた人もいたのに。
頭の硬い、おっさん達。上層部の人間の断固たる「却下」「武士魂に囚われすぎた考え方」が
時代遅れとなってしまい、戦闘力の遅れを取ったのも、原因の1つだと。
・・・・・・・・・・・・・・・。
それなら、尚・・・切ない。
そして、倒幕派のヒーロー達とは逆で。徳川家。幕府を守ろうとした人達。
西から江戸に向かって、進んだ戊辰戦争。もう、大政奉還後の話。
徳川御三家の一人でもある、尾張藩主の区域も通過したはず。
その尾張。この名古屋では、そんな戦いの話は残っておらす。何故、徳川家の血筋である御三家の家臣達は
抵抗しなかったのか・・・・会津は戦ったのに・・・疑問が浮かんだ。
その後、江戸に向かい、無血開城となったハズなのに。
更に上に、向かって会津戦争。その後は、新撰組で有名な土方歳三達も、函館の五稜郭まで登り。
そこで、旧幕府軍は終わりを遂げるのだけど。
徳川家。将軍家を絶対としていた、忠誠心を持ち、誇りを持っていた会津藩は最後まで戦った。
時代は、明治。
そんな侍の心的な考えは古いのかもしれない。けれど、実際に「戦」となっているじゃん。
古いと言うのであれば、攻撃は辞めても良かったと思う。
新政府側は、新しい考えを持って、新しい時代!と旗を揚げるのであれば・・・・・・・
自ら、刀や武器は下ろし。「会津攻め」は必要なかったと思うのだけど。
その後も、「会津の人間」ってだけで、随分と迫害も受けたそうだけど。
それは、「石田光成」と同じ。随分と悪者のイメージを流されていて。後世まで悪者だったけど。
私は、実際の光成は、もっとイイ人だったと思う!私は、光成は好きだ!
あぁ・・・・・・
歴史の話をしたら、止まらない・・・・。
あくまでも・・・今書いた文面は、個人的な感想であって。坂本竜馬さんだって私は好きです。
ただ、会津側から物を見ている「八重の桜」では、やはり会津側の気持ちになってしまいます。
この「八重の桜」で、西郷隆盛役で出演されている、吉川晃司さん(これが又、いい演技するんです)が、
「視点を変えれば時代が変わる」
と言っていましたが、まさに「御意」
いろんな角度から見る歴史。同じ事件でも立場によって捉え方は変わります。
益々、歴史が好きになりそうです。
さて・・・・まだ6回の「八重の桜」ここから一気に、年内完了を目指します☆